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BOΦWYを熱く語ってみようと思う パート5

・・・実に申し訳ないと思う。

今まで4回、BOΦWYを熱く語るなんて言っておいて、きちんとアルバムの紹介をしてないことに気が付いた。この野菜は産地直送だと言って産地を言わないと同じではないか・・・。

なので、今回はしっかりと野菜の産地を・・・ではなく、BOΦWYのアルバムを紹介したいと思う。ただし、私が紹介する内容は・・・リアルタイム高校生でリアルタイムBOΦWYを聴いた大大大ファンが語るアルバムの紹介だ。かなりのファン目線補正が入っていると思うので、気に入らなかった方はウィキなんとかっていうネット辞典を見て下さい。申し訳ない。

1982年 MORAL

作品が世に出たのは1982年3月だが、実際のレコーディングは1981年の夏には終了していたアルバムだ。当時はサックスと2ndギタリストがいる6人組バンドだった。過激なイメージのバンド名「暴威」を改めBOΦWYと変更、スペルの中心に配置された「Φ」は空集合(どこにも属さない)を意味している。

実はBOΦWYの中ではかなり反体制的な歌詞の多い作品だ。

名曲「イメージダウン」にしたって、尻軽女(女子高生)に対する皮肉がたっぷり詰まっている。~英語、数学まるでダメだけど、あっちのほうはインテリジェンスかい~今から30年も前にこんなメッセージが唄われていたのだ。

パンク的なサウンドにのせ痛烈な歌詞を唄うアルバム・・・。だが、レコーディングは1年前。商業的には不発。アルバムが発売された頃にはBOΦWYの方向性は大きく変化していた。よりポップでキャッチーなロックを鳴らし始めていたのだ。

1983年 INSTANT LOVE

前作の発表直後にサックスと2ndギタリストが抜け4人組になったBOΦWY。前作に引き続き今作も商業的には不発に終わった作品だ。レコード会社の問題(倒産)でレコードのプロモーションはほとんど行われず、音楽業界がBOΦWYという名前を口にすることはほとんどなくなっていた。だが、彼らはライブ活動で着実に人気と実力を蓄え続けていた。

MORALとは打って変わってラブソングが中心のポップでキャッチーなアルバムだ。まあ、ラブソングと言っても今のJ-POPに流れる甘いものではないし、ステレオタイプなものではない。

~目を閉じてりゃ怖かねえさ、まかしといてすぐにすむさ、自慢じゃないけど早いの俺~って・・・ようするに○漏って意味ですよね、氷室さん・・・。

また一発だけMEMORYとか、もっとなめてよMY JULLYとか、際どい歌詞のラブソング・・・好きです。

1985年 BOΦWY

バンド名を冠した出世作。BOΦWYのサウンドはこのアルバムで完成したと言ってよい。世の中ではアイドルブームが巻き起こっていた時代だ。

サウンドはよりキャッチーになり、歌詞は洗練された。世間にも受け入れられ始めていた。この年、布袋寅泰は山下久美子と結婚する。

確かに、音も歌詞も大きく変化しているのが分かる。アルバム10曲中6曲が今後の殆どのライブレパートリーに組み込まれている。リアルタイムBOΦWYファンが最も好きなアルバムではないだろうか?

1986年

JUST A HERO

GIGS

BEAT EMOTION

1896年には3枚の作品が発表された。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活動だ。1986年3月に発売されたJUST A HEROはBOΦWYの最高傑作だと言われている。デジタルサウンドへのアプローチが強くなった作品だ。これは布袋さんの意向だと言われていた。歌詞に関しては・・・意味不明の物が目立つ。それがこの作品にミステリアスな印象を与えている。

GIGSは名前の通りBOΦWYのライブ作品だ。彼らは自身のライブをGIGSと呼んでいた。今では当たり前になったが、当時では前代未聞の武道館GIGである。関係者からは絶対に失敗するからやめろと言われていたそうだ。せっかく人気が出てきたのに、ここで観客動員できずライブを失敗させたら立ち直れなくなる・・・。それもそのはず、当時の音楽業界はロックでビジネスが成立するなんて一切考えてなかったのだ。「ライブハウス武道館へようこそっ!」BOΦWYは前人未到の快挙をやってのけたのだ。そして音楽業界は本気でロックビジネスに動き始める。

11月に発表されたBEAT EMOTION。

テレビの歌番組からのオファーが殺到したが、それら全てを断り続ける彼ら。前作が「陰」のイメージなら今作は「陽」。BOΦWY史上最もキャッチーな名曲が詰まったアルバムだ。このアルバムだけは・・・本当に捨て曲が無い。もはや彼らの人気は止まることを知らず、チャートの1位をその手に入れることとなる。「B・BLUE」「ONLY YOU」はこのアルバムに収録されている。だが、彼らには・・・1位を取ったら解散・・・という目標があった。

1987年 PSYCHOPATH

もはや不動の人気を獲得した彼らは、CASE OF BOΦWYと銘打った4時間にわたるライブを行い、そして9月に新作アルバムを発表。アルバムは80万枚のセールスを記録する。インターネットも携帯電話もない時代、テレビにも出ないし、もちろん総選挙の投票券も付いていないし、複数枚同じものを買わせる特典なんかも付いていない。ミリオン・ヒットなんて言葉も一般的ではなかった時代だ。ロックがお金になるなんて発想もない。解散を決意したアルバム故か、どことなく物悲しいムードの漂う作品だ。

そしてこの年の12月24日、渋谷公会堂のライブで解散を表明。

彼らが伝説のバンドとして語られるのは、まさに人気絶頂時・・・いや、これから更に爆発的な人気を獲得できるだろうその時に、あっさりと解散してしまったことだ。BOΦWYはもはや自分たちのものじゃない・・・。ビジネスに取り込まれつつあるBOΦWYを守るために彼らは解散を選んだのである・・・。まあ、氷室と布袋の不仲説もあるけど・・・。布袋が氷室以外のメンバーを奥さんのレコーディングアーティストに呼んだとか・・・。だったらいいよ、俺バンドやめるからっ!って氷室が怒ったとか、噂。当時、26歳だもんヒムロック。しかも布袋が恐れるくらいに地元じゃ有名なバリバリの不良少年だったらしいから・・・。怒らせちゃったら怖い・・・ってさ。

布袋がBOΦWYに加入したのは・・・地元で有名な不良の氷室に呼び出され、バンド結成を断るのが怖かったからだったとか? 噂。

1988年 LAST GIGS

完成直後の東京ドームで行われたライブは、9万5千枚のチケットが10分で売り切れた。東京都内の電話回線がパンクし、BOΦWYは社会現象にさえなっていた。

わたしにとって、これは解散ライブを収めたただの記念碑的作品に過ぎない。BOΦWYが解散して後、リアルタイムに当時数回聴いただけで、あとは一切聴いていない。

今度、このアルバムのコンプリート盤を買ってみようと思っている・・・。

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